医学生のアイデンティティの危機(翻訳記事)

2018年5月30日
原文(Link):The medical student’s identity crisis
著者(Author):
帰属(attribute):Stanford Medicine Unplugged
この記事は、掲載元の許可を頂いて、翻訳して掲載しております。


最近、嬉しい出来事があった。子供の頃の親友が生涯の伴侶への誓いを立てる席に参列したのだ。式は美しかったが、私はというと受付で3歳となる親友の子供と遊びながら、昇進やアパート探しなどについて友人たちと話していた。この会話で、私が提供できた話題といえば、医学部の逸話とじきに来る試験への不満くらいであった。


すぐに私は、友人達が皆いかに「大人」になったかに気付いた。友人の多くは既に自分の仕事に落ち着き、かっこいい車を持ち、生活が同じように落ち着いた他の友人たちと時間を共に過ごしている。次の休暇に向けてお金を貯め、結婚し、子供を持ち、夢に描いていた生活を既に築いていた。
私は医学生として、アイデンティの危機(アイデンティティ・クライシス)を迎えていた。自分の人生の主導権を持ち、ある程度のキャリアと自分の家族を持っていてもおかしくない年齢であるが、私は医学のためにそれらを諦めていた。
私は医学部以外友人を多く持っていることを幸運に感じる。彼らは近くに住んでいて今でもよく会うが、会うといつも、自分がなぜこうも人と違う道を選んだかを考え直させてくれる。友人宅で開かれる小洒落たディナーパーティのお酒越しの会話では、筆記試験の問題や臨床ローテーションのスケジュールについての話題は出てこない。
それとは対照的に、医師になる道は、満足遅延(delayed gratificaton)の典型である。医学部は究極の「マシュマロテスト」である。
医学部のクラスメートには時に、医学部とレジデンシーという特殊で厳しい期間を切り抜けた先の生活を夢見て、冒険に出る人がいる。このような冒険の中でこそ、アイデンティティ・クライシスによって、自分自身をより知ることができるのだ。将来いかに多くの時間を大事な友人と過ごし、家族を持つことができるようになるかを語る者もいる。またヘルスケア分野を変革する自身の研究のことや、これから先経験する人命救助ポリシーについて目を輝かせて話す人もいる。また多くの人が、世界を旅したり、本を読んだり、曲を作ったり、山を登ったり、やりたいことリストにチェックをつけて行く憧れを口にする。
私はどうか。いつの日か、愛する人の腕の中で起き、病院にいく玄関を開けるのに、子供達や愛犬を起こさないようにひっそりと遊び道具を踏み超えて出て行きたい。お昼真っ只中に忍びだして、息子のコンサートでのピアノの演奏を聞きにいったり、娘がウィニングゴールを決めるのを見ていたい。仕事に忙しくし、楽しみ、圧倒されながらも、患者のストーリーに感動を受け、彼らの医師であることを誇りに感じたい。また医者であることだけを自分の唯一のアイデンティティともしたくない。医師であり、母親であり、妻であり、信頼のおける友人でありたい。
しかし今ではない。今はまだ本当の大人に少しずつ近付く友人を持つ学生に過ぎず、デスクで中途半端な状態で、Step 1の試験日を前に、一見乗り越えれなそうな知識の山を登ることに挑戦し、息抜きをしながら私のアイデンティティ・クライシスがこれ以上悩みのタネでなくなる日のことを夢見ている。しかし心配はしていない。そこにいずれ辿り着くだろうと考えている。
数年後にはようやく、笑いと音楽に満ち、なぜこんなにラッキーだったのかと思ってしまうような家庭を持ち、フラッシュカードや試験の準備が意味あるものであったと思うような報いを感じられるキャリアを持つ世界に住んでいるだろう。


Natasha Abadillaはハワイに生まれ育ち、スタンフォード大を2014年に卒業し、ケニアで公衆衛生の仕事に2年間従事、メディカルスクールのためにファームに戻ってきた。彼女はメディカルスクールの2年生になったばかりであり、書き物、料理、デザイートを食べること、ランニング、オペ室に入る際の手洗いが好きである。

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