医学部学士編入試験への挑戦 #1

社会人3年である2016年1月から7月にかけて、阪大医学部の学士編入試験に挑戦した。
仕事と並行しての受験であったため、会社の関係者には幾分ご迷惑を掛け、その上挑戦は実らず、決して人に自慢できる内容ではない。しかし、この挑戦を振り返り懺悔するとともに、誰かの挑戦に火をつけるきっかけになればと思い、一連の経緯を綴らせて頂く。
このような我侭を聞いて頂いた関係する方々に感謝を意を示したい。
※なお、阪大医学部編入試験のノウハウや振り返り等は、別の記事に整理する。


目次
1.医学部学士編入に挑戦した理由
2.半年間の苦悶の受験勉強
3.人生を賭けて臨んだ1次試験
4.起死回生の2次試験
5.受験失敗を受けた今後について

参考記事)私の医学部編入試験の勉強内容(2回目の編入試験への挑戦)
参考記事)医学部編入試験 受験の反省点とTIPS


1.医学部学士編入に挑戦した理由

2015年12月、社会人3年9ヶ月目を過ぎようとしていた。私はこのまま今の仕事を続けていていいのかという思いに駆られていた。確かに今の仕事は、社会的責任も大きく、かつ仕事を探求する自由度のある恵まれた環境に就かせて貰っている自覚はあった。しかしながら、仕事上の挑戦を重ね、自社の世間での立ち位置を知るにつれて、どうしても自分の強みを生かせる仕事でないという感覚が強まっていた。

一方で20代後半となり、多くの友人の活躍や転職・進路転向等の話を聞き、自分が目指したい社会への貢献の仕方を考える中で、高校・大学時代に薄っすらと興味を抱いてた医師という仕事への興味が強まり、医学部学士編入という選択肢があることを知った。ありきたりな理由ではあるが、自分自身の経験や知識が直接的に人の命や健康に貢献できることと、急速に発達する学問としての面白さを有することを魅力に感じた。自分のいるIT業界との比較により、特にそれが色濃く映ったのかもしれない。

年末にかけて、医療関係者や医学部の知人の話を聞いて回ったり、実際に学士編入を実現した人を紹介してもらったりと、本格的に進路転向を検討した。20代後半〜30代前半という人生の貴重な時期を学生として過ごすことへの危惧はあったが、この年齢で大きく学生からやり直すことは、一見社会人として大きく出遅れるようにみえるものの、自分が40代、50代となったときのことを考えると、それまでの経験を繋いだ自分ならではの世の中への貢献ができるはずだという確信を得た。それに加え、この先安定したキャリアの築き方が消失していく中で、自分のやりたかったことに挑戦できるのであれば、自分にとってプラスでしかない人生の試行であると考えた。これまで薄っすらと思い描いてた夢に挑戦できる最後の機会であり、挑戦せず終えてしまうことは、後々絶対に後悔に繋がると考えた。

そのような経緯で、2015年暮れ、私は医学部学士編入に全力を投じる決意を固め、半年間の受験勉強をスタートした。

 


2.半年間の苦悶の受験勉強

受験校は大阪大学の一校に絞った。医師になるだけでなくキャリアップという目的を兼ねていること、仕事と両立する中で他大学を受験する時間がなかったことが理由である。仕事との両立の道を選んだのは、社会人として自分の挑戦は自分の生計でやり繰りすべきだと考えたからである。

ライバルの多くが、時間的に余裕のある学生や退職して受験勉強に専念している社会人であり、勉強時間を作り出すことが最も苦労を要した。当然会社では、責任ある案件を多数背負っており、それらを中途半端にしたり、チームやお客様に迷惑をかけることはあってはいけないと考えた。そのため、平日はほとんど勉強時間を取れないどころか、残業続きで寝る時間すら確保するのに必死という状況が相変わらず続いていた。

一方で休日に至っても、平日の仕事のキャッチアップと睡眠不足の解消に多くの時間が割かれ、勉強時間が十分に確保できない日々が続いた。しかも学士編入試験は、大学1、2年レベルの生命科学(基礎医学)、大学1、2年レベルの物理・化学の知識が問われるため、未履修の学習分野も多く、受験勉強に取り組めば取り組むだけ、自分の勉強の足りなさを痛感し、焦りが増すばかりであった。

こうして、平日は終わりの見えない仕事に追われ、休日は終わりの見えない勉強に追われ、「時間が足りない」という思いが常に頭を漂う日々が続いた。2週に1度は気が狂いかけ、なぜ自分はこんなに苦しい思いをしているのだろうという鬱蒼とした気分に陥る時期が幾度となくあった。

しかし、そういう時間は必要だったのだと思う。発狂しては改めて自分が何をやりたいのか問い直し、何度考えても医師という進路と今の仕事の成果、両方の達成が自分には必要であり、正しい道を進んでいるという確信を得た。ゴールデンウィークも含め、休みという休みは全て勉強に費やし、何度も医学部に進み活躍する自分の姿を思い浮かべては自分の後押しとした。

6月末となり、受験の直前に早めの夏季休暇を取得し、実家で2週間だけ受験勉強に専念する時間を作った。その2週間で遅れを取り戻す算段であったため、毎日の5、6時間の睡眠と束の間の食事の時間以外全て勉強に費やした。滅私、全ての欲望を打ち殺した極限の集中力で、直前にありえないようなスピードでリカバリができたのではないか。

そして7月8日の受験前日、戦場に赴く心持ちで、大阪に向かった。

阪大医学部が唯一の受験校であり、かつ、この1回で合格しなければ、受験勉強はマンネリ化するだろうし、仕事の量も増え、合格の確率は下がっていく一方だろうと考えいた。今思うと、この1回きりの受験に今後の人生全てが掛かっていると、極端に思い詰めていたのだと思う。

 


3.人生を賭けて臨んだ1次試験

高校3年の大学受験のとき以上に、大きく人生を左右する、人生そう数えることのない正念場であったと思う。満を持して臨み、約130人のライバルとなる受験者とともに、万全の体勢で試験開始を待った。

失敗は1科目目に起きた。
得意としていた物理で、こけてしまった。
初っ端の微分方程式が解けそうで解けずに躓き、大きく時間をロス。

得意な物理で点数を稼がなければ、このライバル達から勝利を勝ち取ることができない。これを解けなくては、半年間の全ての努力や苦労が台無しになってしまうという考えが頭をよぎった。また、テスト慣れしていなかったこともあり、あまりにも早い時間の経過に、テンパってしまう。そのせいで後半を占めていた、特に得意としていた熱力学の問題も、時間が足りなく焦る一方。そして残り10分くらい頭が真っ白になっているうちに、終了の合図がなった。

不覚にも終了後の休憩時間、外に出て一人泣いてしまった。
1科目目にして、これまでの全ての努力が、水の泡になってしまったと思った。
仕事と勉強と、気が狂う思いで取り組んできた全てが、ここ一番の戦いでこんな不甲斐ない形で終わってしまうのか。

この歳で非常に情けないが、実家での勉強を支えてくれた母親に電話し、感極まって思いっきり泣いてしまった。精神的にも肉体的にも疲労が蓄積し、情緒不安定になってしまってしたのかもしれない。

今思うと、今年しかチャンスがないという考えが強すぎたようだ。「何度でも何歳になっても挑戦できる、来年のためと思って残りを受けておいで」という言葉をもらって、少し気持ちを落ち着かせることができた。

2科目目の化学も、院試レベルのハイレベルな問題に十分に回答しきれない。3科目目の英語も、英文読解に時間を要し、最後の英訳問題で時間が足りなくなる。4科目目の生命科学も、時間配分のミスにより、英語論文が頭に入らず点数を取り損ねてしまう。

確実に落ちた、医師へのプランをどう立て直すか、という気持ちで新幹線で家まで帰っていった。

 


4.起死回生の2次試験

1次試験を終え、ほぼ確実に落ちたという思いから、思いっきり羽を伸ばした。
そして1次試験の結果発表の日、なかなか結果を開くことができなかった。不合格という結果であれば、今後何を目指していくのか、本当のプランを立て直さなくてはならなくなるからだ。

そして居酒屋で一人、どうせ落ちているだろうと酒を飲みながら、恐る恐る結果をみた。
まさか、自分の受験番号が載っている。
約130人中13人の1次試験合格者に残っていた。奇跡だと思い、しばらく言葉が出なかった。

全く2次試験の準備をしていなかったが、2次まで残り2週間とわずかに猶予が残されていた。1次試験でだいぶ点を取り損ねた自覚があったため、恐らく1次合格者13人のうちでも下位層にいる。13人から合格者予定人数の10人に入るには、この千載一遇のチャンスで合計点を挽回しなくてはならない。

小論文対策のために、医学関連の書籍を読んだり、医学部の知人に話を聞いたり、模擬面接をやってもらったりと、仕事をしながら準備を進めた。そして受験前日のぎりぎりまで仕事をし、再び大阪へと出向いた。

小論文試験は、新薬開発というあまり勉強していないテーマで、ありきたりな意見しか書ききれなかった。一方で面接では、個人的な感覚では、ITの専門性を認識してもらうこと、自分らしさをアピールすることはできたのではないかと感じ、やり切ったという思いで、福岡への帰路につくことができた。

受験から完全に仕事に切り替え、結果を待った。密かに合格できるのではという思いがあった。

2次試験結果発表の日、仕事の合間に、息をひそめて結果を見た。
そこには自分の受験番号はなかった。
合格者は6人のみ。逆転劇を期待する高揚感から、ふと我に返った。
まだ追加合格の可能性もあるのではないか。あれだけやったのだから、何かの間違いではないか。間違いの連絡がそのうち来るのではないか。

時間がたつにつれ、不合格であることを少しずつ認識できた。もう結果が変わるような奇跡は起きない。今後どうするか、何を目指すのか考えなければならない。医学部の生活への夢を膨らませていたが、ほんとうに夢を見せてもらっていた期間であった。

 


5.受験失敗を受けた今後について

約半年間の阪大医学部学士編入への挑戦は、失敗に終わった。
次どうするか決めなくてはならないが、なかなか自分の中で結論が出し切れていなかった。

受験後、何人かの友人にこの失敗談を話す中、社会人2年目となる大学時代の後輩が、同じくして医学部の一般入試の再受験に向けて取り組んでいることを知った。彼は、2年という長期プランで、仕事と両立しながらの東大医学部合格に向けて取り組みを進めていた。学生に戻った時にやりたいことへの準備がまだ足りないため、今年闇雲に受験するつもりはないとのことであった。

私は専門の転向をするなら、特に医学部であればなおさら、一刻も早い合格が必要だという思いに駆られていた。しかしよくよく考えると、その専門分野の習得においては1年の違いは大きいが、その点では既に高卒入学の一般生には大きく遅れをとっている。一刻も早い合格に執着し、今の活動を疎かにするよりも、その期間で得られる経験をカバーするだけ、他の活動での経験・知識を得ることが今の自分には可能である。例えば、医学部に進学した際に学業に専念できるだけの収入源を作ったり、将来的に使えるITのベーススキルを培ったり、今ある人間関係を育んだり。医学部に進むとしても、今の経験が将来の無駄とならない活動は十分に考えうる。

そういった納得感と、落とされたことへの反骨精神も加わり、来春にやってくる一般入試に向けては、捲土重来阪大以上の大学を目指し、かつ夏の学士編入の期間は、引き続き阪大医学部へのチャレンジを、気負い過ぎずに続けたいと思っている。医学部に行くことが全てでないため、受験勉強だけに専念することはしない。仕事やプライベート、その他の活動と地道にバランスをとりながら(もちろん多々崩れることになろうが)、将来に向けた勉強を継続していく覚悟ができた。

 

最後に漫画からの引用だが、自分はハンター×ハンターの登場人物のアツい生き様が好きだ。主人公ゴンが父親ジンに何を目指しているのか、質問したときの答えがずっと頭に残っている。

“俺はいつも現在(いま)俺が必要としているものを追っている。実はその先にある『本当に欲しいもの』なんてどうでもいいくらいにな。道草を楽しめ、大いにな。欲しいものより大切なものが、きっとそっちに転がってる。”
-ジン=フリークス(Hunter × Hunter)

医師の夢は追い続ける。けど今の環境も周囲の人たちも大切にし、大いに道草を楽しみながら、めりはりつけて夢に向かっていきたいと思う。

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